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奈良家庭裁判所 昭和52年(家イ)257号 審判 1978年5月19日

申立人 山川賢司(仮名)

相手方 山川光輝(仮名)

相手方法定代理人 親権者母 山川多美子(仮名)

主文

相手方が申立人の嫡出子であることを否認する。

理由

一  申立の趣旨

主文同旨

二  申立の実情

申立人は、相手方の母山川多美子と昭和四九年三月一五日婚姻したが、多美子は身持が悪く、申立人との婚姻前から他の男性と肉体関係を継続し、その男性との間の子をみごもつて昭和五〇年一月一五日相手方を分娩した。申立人は、その当初相手方が自分と多美子との間で生れた子であると信じていたが、昭和五二年二月ごろ上記男性の申立人に対する告白などから、相手方が自分と多美子との間の子でないことを知つたので、本件調停申立に及んだ。

三  当裁判所の判断

本件につき昭和五三年五月四日の調停期日において当事者間に主文と同旨の合意が成立し、その原因事実についても当事者間に争いがなかつたので、当裁判所は、関係人の戸籍謄本、医師広田忠臣作成の血液型検査報告書、当裁判所調査官の調査報告書、申立人に対する審問などによつて必要な事実の調査をしたところ、申立人の申立の実情どおりの事実が認められた。

ところで当裁判所の申立人に対する審問によると、申立人は相手方が出生した昭和五〇年一月一五日当時、その出生を知つていた事実が認められるから、民法七七七条の規定をその文言どおり解釈すれば、本件調停申立はその出訴期間を経過したものといわざるを得ないのであるが、当裁判所は、民法七七七条の「夫が子の出生を知つた時」というのは、単に夫が子の出生事実を知つた時というのではなく、夫が否認すべき子の出生を知つた時、換言すれば夫が否認の原因となる事実を知つた時と緩やかに解するのが相当と考える。けだし、夫が妻の分娩した子を自分の子であると信じて、その出生の日から一年を経過したのち、なんらかの事情でその子が自分の子でないことを知つた場合、もはや嫡出性を否認でぎず、不実の父子関係を確定させられてしまうというのでは、夫に対して酷であるばかりでなく、その他の関係当事者にとつても納得できないものが残るところ、嫡出子否認の出訴期間の起算点を上記のように解すれば、これら不合理が除去されるからである、もつとも、前記起算点を上記のように解すれば、子の嫡出子の法的地位を長く不安定ならしめるのではないかという危惧も生じるが、子の出生後、夫があまりにも遅く嫡出子否認の原因事実を知つたときには、夫がそれまでそれを知らなかつたことにつき、重大な過失がなかつたかどうかを調査し、夫にその点の重大な過失があつた場合には、民法七七六条の準用によつて否認権を失うという解釈も可能なわけであるから、前記起算点を上記のように解しても、必ずしも子の嫡出子の法的地位を長く不安定ならしめるものということができない。

しかるところ、これを本件についてみるに、当裁判所調査官の調査報告書、申立人に対する審問によると、申立人は、相手方をその出生後自分の子であるとばかり思つていたが、昭和五二年二月ごろ、ふとしたことから多美子の元職場同僚であつた岡部正一と会い、同人から多美子と肉体関係のあつたことを聞かされて、多美子を詰問し、その結果、相手方が自分の子でないのではないかという疑問を抱いたこと、それで申立人は直ちに弁護士に相談したり、血液鑑定を求め、同年九月二〇日本件嫡出子否認の調停申立をしたことが認められ、それによれば申立人が相手方につき否認の原因となる事実を知つたのは昭和五二年二月であつたものというべく、そして、申立人がそれまでの間、否認の原因事実を知らなかつたという点につき重大な過失があつたとの証拠もないので、同月から一年内に提出された本件嫡出子否認の調停申立は適法というべきである。

よつて、前記合意を正当と認め、調停委員坂口公男、同杉並淑江の各意見を聴き、家事審判法二三条により主文のとおり審判する。

(家事審判官 広岡保)

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